女流詩人

ケータイをiphoneにしてから、ツイッターを始めた。それで今日、何気なく自分がフォローしている方々の一覧を見ていたら、友人、知人をのぞいて、そのほとんどが作家・詩人の方々であることに気づいた。意識したわけではないのだけど、ずいぶん偏りがあるようだ。例えば、ぼくは音楽も好きだけどミュージシャンを一人もフォローしていない。

中でも一番多いのは、女流詩人の方々。普段意識したことはないけど、自分は女流詩人に強い興味を持っているのかもしれない。無意識は怖い。潜在的な欲求なのだろうか。思えば、国語の教科書にある工藤直子さんや茨木のり子さんの詩が好きだった。今でも。

女性の書く詩には、男のぼくには到底書けない表現や感情があり、その圧倒的な光の強さに時々めまいのようなショックを受ける。詩人に限った話ではない。女の子の言葉は基本的に詩だ。

以前、遠距離で付き合っていた女の子から、「会えない間に書いた」という日記を手渡されたことがある。詩ではないけど、これ以上の詩をおそらくぼくは生涯もって書けないだろう。きっと、女の子は皆そうなのだ。言葉から感情がだくだくと流れている。口喧嘩でもそうだ。女の子の言葉には敵わない。