政治とオリンピック

オリンピックのサッカー日本代表戦の話。先日行われた対韓国戦の後に、韓国チームの選手が「独島(日本名・竹島)は我々のものだ」と書かれたメッセージボードを掲げ、グラウンドを1分ほど走っていた、というニュース報道を目にし、なにかとてもやるせない気持ちになった。

海一つ隔てた隣国との、このいびつな関係。日本の感覚からいえば「スポーツの場に政治を持ち込むなよ」という思いだけど、逆を言えば、韓国はスポーツの場に政治を持ち込むほど世論的にこの問題に熱をあげている。

スポーツマンシップという言葉がある。「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦おう」なんて言う。ところがオリンピックを見ていると、それがまったく「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦われていない」ことに気づく。何故なら、やはり金のある国ほど強い選手、優秀な選手を育てているからだ。現在、獲得金メダル数で一位と二位に接戦している国は「アメリカ」と「中国」。3位が開催国でもある「イギリス」、4位が「ロシア」だ。これって、偶然なのだろうか?まんま政治の世界ではないか。

思えば、のほほんとしているのは日本だけというような気もする。

スポーツだと思って「軽い」ノリでいる。でも他の国々はもしかしたら、日頃、発散できない政治的な思いを抱えて自国を応援しているのかもしれない。だから、唐突に起きる、韓国の若い選手が起こしたこの行動に、僕は現実という反動の重さをズシッとモロに食らってしまったのだ。

この問題を解決する方法として、争うでなく、媚びるでなく、宥めようとか、やり返してやろう、ではなく、我々はまずそもそもの日韓関係に根ざした正しい歴史を少しずつ知っていくしかないのではないだろうか、と思う。何故、韓国の選手があのような行為をしたか、今は一人の日本人として「重く」心に受け止めよう。